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2007年12月

2007年12月24日 (月)

ニジェールでの年明け!

ニジェールで新年を迎えた!

といっても2008年1月1日が一足先にやってきたわけでなく、イスラム教の人たちにとっての新年のこと。タバスキ(犠牲祭)といって、年によってこの日はずれていく。今年は12月19日。

なんといっても、この日はたくさんの羊が食べられる日!

子ども達も大喜び!もちろん、大勢の人が集まって、この日はいつものモスクではなく、別の広い場所でお祈りをします。その後に、羊達が調理されていくのです。

私も、人生初!羊を1頭、買いました!!いっぱい羊がいるけど、自分の買った羊がかわいく思えてしまう。けれど、そんな羊の命をしっかりこの日はいただきました。

びっくりしたのは、小さな子が羊が殺されているのをしっかり見てること。どくどくながれていく血に、ドキッとしたけど、その後は羊の体が、解剖実験のように開かれていくのを見ていました。

日本のお店でならんでいるお肉。それが生き物の命だということを感じることはなかった。ここでは、まず命を落とす瞬間を見て、開かれた腹からでてきた内臓を、川へ運び洗う。腸からは、もちろん糞になったもの、糞になりかけのものがでてくるが、それもみんなきれいに手で搾り出して、洗っていく。誰もくさいと騒がない。私は一瞬、その作業をためらったが、羊の体なんだもん。そういうのがあるのが当たり前。とみんなと同じ作業をした。女の人、女の子が内臓洗いに川へ行っている間、男達、男の子は巨大バーべキューのごとく、気を燃やし、そこで、なーーんと!!ばつ印に木の棒を刺された羊の開き?に唐辛子と塩、ハイニの搗いたかすと油を混ぜたタレをかけながらあぶっている。あぶるときに出てくる油も、きちんとしたになべやボールをおいて無駄にしない。しかも、これがおいしいんだ!

その日の夜ご飯は、内臓を煮込んだものと、あぶったレバーや羊の首の部分の肉をきったもの。これまたおいしい!!!

その肉は、夕方まで時間をかけて、たーーっぷりとあぶられた後、一晩家の中で保存する。次の日、午後あたりから、あぶった羊を大きな刀で、ざっくざっく、バキン、バキン!と切り分けていく。そのお肉を村の人たちに分けて回る。

羊の頭と切り落とされた足先。

これは食べない部分かと思いきや、ここもしーっかりと人の胃の中へ納まることに!!

びっくり!!しゃれこうべをもつかのごとく、子ども達が羊の頭をもち、薪が燃えているなへぽいっと投げ入れる。棒で転がししっかり焼く。その焼けた頭をかき出して母親の所へ持っていく。この羊の頭と足は、その翌日のご飯に。あぶった肉のうち、そのまま食べなかった分は、一晩水につけておく。水を2回差し替えて、翌日、いろいろな調味料とともに煮込み料理に!!これまたおいしい!!!羊の足のひずめも二つに裂かれ、煮込みひずめは食べないけれど、周りの肉をいただきます。

羊の頭蓋骨の中に、指を突っ込む。うッ?!という感触・・・!

それは脳みそ。 最初はぎょっとしたものの、かにみそやうにと同じでおいしい!フォアグラのようだった(フォラグラと言うものに縁があまりないが、そんな気が)。もちろん、鯛の目玉をたべるのと同じで羊の目玉も!ゼラチンたっぶり!

初日のバーベキューでは、一頭の羊から1つしかとることができないのどぼとけ(おそらく)も大事にやかれ、小さく切ってみんなで分けていた。1つのあわびから1つしかとれない肝のよう!

ほんとうに、生き物こそ違え、同じように生き物、命をいただいているんだな、と思った。まるまるさっきまで生きていた羊が食べ物に変わっていくんだから、びっくり。

いいなー、と思ったのはおいしいお肉が食べられるから。だけではなく、この行事を子どもから大人までが一緒にすること。おなじ作業をみんながみてる。みんなで協力してする。大人がやることを赤ちゃんの頃から見てきた少年達が、大人の手伝いを勤める。

こういう時間が日本にもあったよなあ。今ももちろんあるけれど!

家族総出でおもちをつく、、、。

それぞれの土地での行事っていいな、と思った1日でした。ということで、

この日をはさんだ前後の日は休日。正月3がにちも終わったニジェールでした。

2007年もあと少し。いい年でした。

2007年12月15日 (土)

一生に一度

今回、村に入って初めての経験が二つ。

お葬式(面識のある人が亡くなったこと)と村での結婚式

村に帰った日に、村で一番お世話になっているお父さんの実のお父さんが亡くなった聞きびっくり。知っている人が亡くなるのは初めてのことだし、親しくしている人とつながりが深い人だし、動揺した。お悔やみをいいに行った。ニジェールでは大人が人前で涙を見せるのはよくないという考えがあるようで、泣いてはいないけど、真っ赤になった目のお父さんや、お父さんの妹さんとかをみると、こっちも胸がいっぱいになった。ニジェールでは一週間、そのおうちに人が集い、一週間後には元の生活に戻っていました。

そして、ちょうど一週間後は、そのお父さんの奥さんの弟さんの結婚式。ニジェールでは、日本ででもだけど、結婚は一緒に一度、とは限らない。(ニジェールではイスラム教の男性は4人まで妻をもつことができる)けど、これも人生で大きな節目になること。電気のない村で、お嫁さんが隣村から来る日の夜は、電気がともった!家の前でラジカセをせっとし、大きな音の中村人は踊り、その隣では、テレビとDVDプレーヤーが登場し、DVD上映会!! 戦後の日本はこうだったのかなと思わせるほど、幼い子どもから大人までがテレビを囲み、夜10時半過ぎ開始のテレビにみんな釘付けだった。電気がなく、テレビもない村だけど、村での結婚式では、いつもこうすると私のいる村人はいっていた。いいなあ。村のみんなでお祝いして。お嫁さんは、昼間は新居でなく、義理のお母さんの家にいて、夜だけ新居に行く。1週間後に、新居での生活がスタート。結婚式後も、一週間、家に人が昼間も夜も集う。夜はラジカセの音楽に合わせて若者が踊っている。

いいなあ。ほんとうに何をするにも、村の人は一緒だなあ。

それか ら、やっぱり国とか、国籍とか関係なく、人の喜び、悲しみは一緒だなあ。

そんなことを感じた村滞在でしCimg4606た。

←テレビの前に集まる村人

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